ほわいとぶらっく

何者にも染まってしまうほわいと、何者にも染まれないぶらっく

相手を思うやることの価値観とこれまでの後悔

 

はじめに

 

自分はこれまで後悔しないように人生を立ち回ってきたつもりではある。それはひとえに自分自身が最も納得できる答えを用意して実行することで後悔しないようにしてきたからに過ぎない。

 

しかし、最近面接などで色々な人から話を聞いているともっと自分と真正面から向き合わないといけないと感じさせられることが多い。これは自己分析とかではなく、もっと深く、これまでの考え方とかそういったものである。ずっと悩んできた。小学校の時から自分はどうあるべきなのかという問題に思い悩まされてきた。文字通り、これまで自問自答し続けてきた問いに対して、明確な答えを提示しなければならないと感じている。

 

続きを読む

冬眠

2日間ほど冬眠していたらしい。

 

しかも5月なのに冬眠ではなく、もしかすると春眠というのかもしれない。

いずれにしても2日間で1シーズン眠っていたようにいうのも変な話だけど、

自分にとってはこれ以上にないほど長い時間だったように感じる。

言うほど長くないけど。

 

冬眠といっても別に現代におけるニートさながらに自室に食料を溜め込んでぐうぐう

眠っていただけというわけではなく、自分の場合はひたすらに読書に没頭していた。

別に何かを感じたからそうしたのではないんだけど、

おたく特有のアニメに感化された形で何か「思う節」があったんだろうと思う。

 

続きを読む

将来のこと

自分は将来何になりたいか。を小学生の頃から感想文とか書かされた記憶があるけど、実際に書いてる内容通りになった人がどれだけいるんだろう。自分はプロ選手になりたいと書いてたはずだけど、それは周りに流されて書いただけで自分の意思ではなかった。スポーツも勉強もポケモンも常に他人の真似をしてここまで来たから自分がどうしたいか具体的に想像できなくて辛い。普通に就職して普通に生活するってのもよく分からないし、なりたくもない。自分がこれから何者になりたいか探すべきだと思うけど、多分もうどうしようも出来ず周りに流されて進んでしまうと思う。

f:id:WhiteBlack:20160530175634j:plain

これは余談だけど、響け!ユーフォニアムの高坂麗奈が「私は特別になりたい」という台詞を言った時にアニメを見て初めて泣きそうになってた。小学生の頃から何か一つのことを集中してやるのが得意だった自分にとって何を目標としてそれらのことをやってたのかを言い当てられた気がしたから。小学生の頃にインテリが読むような本で見た「社会の歯車のままでいいのか」とかいうフレーズに感化されてしまい、そのまま今まで来てしまったのだと思う。自分はもう二十歳を過ぎてしまったいい大人なのにまだどこかに自分の「特別」を探し求めてるのかもしれない。

選択肢の連続

人生は選択肢の連続だって誰か偉い人が言ってたのを聞いた覚えがあるけど、この言葉ほど共感というか説得力があるものはないなと毎回何かの選択肢を迫られるたびに思う。

中学校の時に自分は他の人に比べると運動神経が良いほうで部活では今のポケモン以上は頑張ってたと思う。ある時に他校のスポーツに力を入れている中学校の先生からうちに来ないかと真剣に言われてとても困惑していたことを覚えている。確かに自分はある程度スポーツは出来る方だったけど引き抜きまでするほどの選手なのかと。でも、最終的に自分はその誘いを答えを出さないまま断る形になった。転校していたとしても同じ市内の中学校への転校で住所を変えるために引越しをしなければならなかったし、転校したとしても知り合いはスポーツ関連で知ってる人しかいない。転校前の学校の友人を失うのは自分には耐えられなかったから転校することは考えられなかった。客観的に見れば、転校した方が確実にスポーツは上手くなっていたし、自分の将来の成功を考えれば確実に転校すべきだったのだろうと今は思う。ただ、自分にはその選択肢を選ぶ勇気はなかったのであって自分の才能の中に正しい選択を出来る才能があれば間違えることはなかったのかもしれないとか思ってしまう。

自分の成功のために何かを犠牲にするってのは無意識にするからできるのであって、何か形のあるものを犠牲にして成功に向かうのはどうにも性に合わないんだけど、自分はこれまでに多くの選択肢を違えて、ここまで来てしまったからこれからは出来るだけ間違えず生きていきたいと切に思う。